HOME > UECS概要-4 UECS開発の歴史

4.1 複合環境制御装置の開発と挫折

1950年代以降、植物を閉鎖環境に入れて実験を行えるグロースチャンバーやファイトトロンの利用が活発に行われるようになり、光-光合成曲線など植物の基礎的な知見の蓄積が進みました※1。1960年代には様々な植物で炭酸ガスと光合成の関係が測定されました※2※3。これらの研究により、植物の光合成が活発になる条件が明らかになると、植物周辺の環境を植物の特性に合わせて制御すれば生産性を高められる、すなわち環境制御という考え方が生じました。しかし、そのためには制御の自動化が不可欠でした。1970年代初期までアナログコンピュータを環境制御に使用する試みがありましたが、これは実験用に留まっていました※4。一方、1971年には世界初のマイクロプロセッサIntel 4004が発売され、これが今日使われているマイコンの原型になりました。汎用性が高く小型化の進んだデジタルコンピュータはアナログコンピュータを駆逐し、1970年代後半から盛んに施設園芸への活用が論じられるようになります。1976年に古在氏が示した「電算機による温室の換気操作の概念図」には、温度センサ、湿度センサ、炭酸ガスセンサ、屋外気象観測装置のほか制御可能な天窓、側窓、換気扇がコンピュータに接続されている様子が記載されています※5。1979年にはコンピュータを用いて温室内の様々な装置を複合動作させ、植物に好適な環境を作り出す事を意味する「複合環境制御」という言葉が使われるようになりました※6。この時の文献には既に暖房、保温、換気、遮光、灌水の制御のみならず炭酸ガス、湿度、細霧冷房の制御にまで言及されており、現在の環境制御装置の原型が確立されていました。マイクロプロセッサの進化は続き、1980年代に入ると個人で利用可能なパーソナルコンピューター、すなわち「パソコン」が普及し始めます。米国では1981年にIBM-PC、日本では1982年に初代PC-9801が発売されました。これに続いて、1980年代中盤からマイクロプロセッサを内蔵した施設園芸向け環境制御装置が発売されるようになりました。バブル景気、植物工場ブームが追い風となり、最盛期には20社もの参入がありました。しかし、この時期に登場した施設園芸向け環境制御装置は普及するにあたっていくつかの問題を抱えていました。まず、第一に価格が高すぎました。日本の施設園芸の生産者は、中小規模な複数の温室を保有するのが一般的であり、全ての温室に対して高額な導入費用を負担するのは非現実的でした。これは、全く同時期に温室に環境制御装置の導入を開始したオランダで生産者の統廃合が進み、一棟当たりの面積が拡大して十分な設備投資を行えるようになっていった事と対照的でした※7。次に、各社の規格が統一されていませんでした。一社ですべて抱え込もうと競争したため、ハードウェアの開発、ソフトウェアの開発、サポートの出張、営業などの多様な業務が負担となり、普及台数が一定以上に達するとその負荷にメーカーが耐えられなくなりました。環境制御装置の普及は伸び悩み、徐々に新しい装置の開発に支障をきたすようになり、コンピュータを生かした生産支援ソフトウェアなどはほとんど開発されませんでした。そのうち、社会は1991年のバブル崩壊に直面しました。これは、もともと脆弱だった環境制御装置の業界に大きな打撃を与えました。それまでの反省から環境制御装置の規格を統一すべきという認識が生まれ、1995年から環境制御システム遠隔操作方法標準化の方法が模索され始めました※8。この時の中心メンバーであった星氏は、千葉大学の古在氏と社団法人日本施設園芸協会の協力のもと複数のメーカーと協議を重ね、1998年には規格を完成させましたが、時すでに遅く普及には至りませんでした。2000年に入ると、環境制御装置メーカーの多くは撤退や廃業を選び,生産者は過去に製造された装置が故障してもサポートを受けることもできなくなりました。

4.2 インターネットの隆盛と施設園芸の再起

日本で初めてインターネットの民間プロバイダがサービスを開始したのは1992年のことです。さらに、1995年にはインターネット接続機能を標準搭載したOSであるWindows 95が発売されました※9。さらに、2001年には「フレッツADSL」や「Yahoo! BB」など大手プロバイダのサービスが開始され、個人でのインターネット接続が一般的なものになりつつありました※10。インターネットの普及が加速し、情報化が進む中で日本の施設園芸は危機に陥っていました。これまで右肩上がりだった総施設面積が、1999年を境に減少に転じたのです。施設園芸という産業自体の停滞は明白でした。2003年の時点でコンピュータを用いた複合環境制御が可能な施設は総面積の僅か1%であり、残りの99%の施設は全く情報化されていないという状況でした※11
一方で,2000年台初期からオランダの施設園芸の生産性の高さが広く知られるようになり、オランダで開発された様々な環境制御手法が紹介されました。しかし、オランダでは高軒高の温室と複合環境制御が主流であり、これらの技術は要求する仕様と、製品価格が高く、日本のほとんどの施設に導入できませんでした。複合環境制御装置を開発できる国内メーカーが衰退したことで、温室内の装置は個々の機能で完結した簡易的なものになっていました。サーモスタットで動作する換気装置や暖房機、日射比例式の潅水装置、時間で制御するタイマーなどです。このような装置は互いの通信機能が無く連携動作できないので複合環境制御にアップデートできないという問題がありました。例えば、炭酸ガス施用を効果的に行うには、窓が開いているときに作動させるとガスが抜けてしまうので、換気装置の動作と連動して窓が閉まっている時だけ作動させる必要があります。したがって、それぞれの装置が連携動作できなければ環境制御が成り立ちません。より高度な環境制御手法に適合できる日本の実情に合った複合環境制御システムが必要とされていました。

4.3 UECSの構想

新たな環境制御システムを作るには、過去の失敗を繰り返さない仕組みが必要でした。1980年台に開発されたシステムは1台の制御コンピュータにあらゆるセンサ、アクチュエータ、ユーザーインターフェースが接続される集中型の構造で、全ての制御はこの中で完結し、通信機能などもありませんでした。まだコンピュータ自体が高価で複数のマイクロプロセッサを使用できなかったのです。しかし、この方式では開発時に想定した規模より小さい温室ではオーバースペックになり、制御手法の変更に対しても柔軟に対応できないという欠点がありました※12。日本の施設園芸では成功した農家は増棟による規模拡大や新装備の追加導入を行うことがあり、このような要求に対応できるシステムが必要です。さらに、環境制御の手法は、ある時期に最新の技術を元に設計をしたとしても、より優れた方法が開発されれば陳腐化し、時代とともに変化するものなので、将来の拡張を想定しなければなりません。これらの問題を解決するために考え出されたのが自律分散型のシステムです※11。インターネットの急速な普及によりネットワークの規格化が進み、通信機能を持つコンピュータの小型化、低コスト化が進んだことが幸いしました。過去のようにコンピュータのコストを気にする必要が無くなったため全ての機器にマイコンを内蔵し、ネットワークに接続する自律分散型のシステムが実現できるようになりました。このシステムは全ての装置が互いに通信し合うことで情報を共有し、それぞれが個々の判断で制御を行えます。ネットワークに接続する装置を状況に合わせて選択できるので、小規模な農家は最低限の装置のみ接続すれば良いし、規模が拡大しても新しい装置の増設や機能の変更を容易にできることになります。さらに、装置を強制的に遠隔操作できる機能も付与されました。これは、普段は自律動作を行っている装置をユーザーの指示で一時停止したい場合や、より高度な連携動作を実現したい場合に利用できます。遠隔操作指令を出す専用のコンピュータをネットワーク上に配置すれば、従来のシステムのように集中制御も可能です。“ユビキタスという語は、ラテン語の”ubique”(遍在)に由来します。いたるところでコンピュータを使うという意味で、ゼロックスのマーク・ウェイザー氏が1991年に「The Computer for the 21st Century」という論文で初めて使った言葉”Ubiquitous Computing”が起源になり、21世紀を迎えたときにこの論文の先進性が評価され広まったものです※13。日本でもその影響を受け、総務省を中心に、コンピュータなどの先進技術が遍在する社会のことを「ユビキタス社会」と呼ぶようになりました。これらの経緯で、この新しい環境制御システムはUbiquitous Environment Control System(UECS)と命名されました。

4.4 UECSの開発と普及

2000年代初期から星氏により構想されていたUECSは、2004年から2005年にかけて実施された農林水産研究高度化事業の支援を得て具体化しました。この時のメンバーは星氏を中心に、エヌアイシステムの猪野氏、林氏、株式会社誠和の新堀氏と山口氏、ネポン株式会社の馬場氏、相原氏らが実験機の開発を行い、農研機構からは高市氏と私、黒崎が実証試験に加わりました。初期の実験機が当時の農研機構野菜茶業研究所の武豊研究拠点に新しく建造された低コスト対候性ハウスに設置され、実証試験が行われました※11。この温室を見るため多数の見学者が訪れるほどの盛況でした。実証温室は、その後、武豊研究拠点が廃止される2015年まで稼働しました。2006年7月18日、ユビキタス環境制御システム研究会の設立総会が行われました。最初の参加者はたった7名でした。これがこのUECS研究会の始まりとなります。その後、実証試験のメンバーに安場氏を加えUECSの改良が進められます。武豊研究拠点での運用により分かった初期規格の問題点を改良したVer1.00-E10が策定され、2010年に公開されました。2011年には東日本大震災が発生し、東北地方で多くの温室が被害を受けました。この復興のために2012年から農林水産省の支援を受けて先端プロが実施され、複数の実証温室が整備されました。この過程で現地へのUECSの導入が進みました。震災は不幸な出来事でありましたが、それを乗り越えるためにUECSが役割を果たせたのは、長らく開発を続けてきた甲斐があったと自負しております。この後、UECSにとって追い風となったのがオープンソースハードウェアのArduinoや、シングルボードコンピュータのRaspberry Piが登場したことです。ArduinoとRaspberry Piは世界的に広く普及したため、低コストで優れたUECSの実装用プラットフォームになりました※14※15※16。電子部品を個人でも入手可能な通信販売サイトが増え、3Dプリンタの普及により立体物の製造が容易になり、プリント基板の製造コストは個人でも製造可能なレベルにまで大きく下がりました。これまで限られたメーカーしか製造できなかったUECS対応装置を個人が自作できるような環境が整ったのです。こうしてUECSの普及に自作(DIY)という手法が追加されました※17※18※19。また、富士通株式会社や株式会社ワビット(後にアルスプラウト株式会社に業務譲渡)といった優れたICTベンダーの助力により、UECS対応クラウドが整備され、多くの生産者がネットワークの恩恵を受けられるようになったことは大変すばらしいことでした。(これまでも存在した問題ですが)2020年代に入り、農業現場での労働力不足が深刻化しています。より少ない人数で大面積の圃場を管理する必要がありますが、UECSを構成しているICT・IoTは自動化や遠隔監視、省力化を実現するための根幹となる技術です。常に新しい課題に直面してきた施設園芸ですが、UECSの普及は多くの問題を解決できる糸口になります。いつでも、どこでも、あらゆる施設園芸の現場がICT・IoTの恩恵を受けられるようになるその日まで、UECSの開発と普及に邁進していきたいと思います。

本稿は旧UECS研究会Webページの記事をもとに黒崎が再構成しました。旧Webページの内容は会員専用ページのアーカイブに記録されています。

引用文献

※1
グロースチャンバーの人工照明 (その1)
稲田 勝美
生物環境調節 8(1), 8-18, 1970

※2
Growth Chamber 内の微気候:(1) 微気候と換気との関係
内嶋 善兵衛
農業気象 21(3), 105-112, 1965

※3
生育室の換気回数が純光合成率におよぼす影響
高倉 直
植物学雑誌 79(934), 143-151, 1966

※4
ファイトトロンにおける制御系のアナログシミュレーション (IV):温湿度制御系の操作能力を変えた場合の動特性
船田 周 , 橋本 康 , 大政 謙次 , 今村 真逸
生物環境調節 11(1), 13-24, 1973

※5
電算機を利用した植物成長の最適化制御
古在 豊樹
農業気象 32(1), 41-49, 1976

※6
温室の複合環境制御とマイクロコンピュータの利用
古在 豊樹
施設と園芸 (24), 7-12, 1979

※7
今なぜまたオランダの施設園芸なのか
髙倉 直
農業および園芸 91(12), 1178-1182, 2016-12

※8
環境計測制御コンピュータ 遠隔操作方法標準化規格のページ
https://web.archive.org/web/20070630033438/http://w3.fb.u-tokai.ac.jp/std/index.asp
(ページ消失によりインターネットアーカイブより引用)

※9
日本におけるインターネットの歴史
http://www.daj.jp/20th/history/

※10
年表で振り返るブロードバンドの歴史
https://bb.watch.impress.co.jp/cda/special/16691.html

※11
ユビキタス環境制御技術の開発
星 岳彦
農業機械学会誌 69(1), 8-12, 2007-01-01

※12
施設園芸におけるユビキタス環境制御システムの提案
林泰正 , 星岳彦 , 高市益行, 山口浩明, 相原祐輔
農業および園芸 79(8), 845-853, 2004-08

※13
1991年に「21世紀のユビキタスコンピューティング」を予言した論文「The Computer for the 21st Century」
https://gigazine.net/news/20180510-the-computer-for-the-21st-century/

※14
オープンソースハードウェアを利用した環境計測ノードの構築
安場 健一郎 , 星 岳彦 , 金子 壮 , 東出 忠桐 , 大森 弘美 , 中野 明正
農業情報研究 22(4), 247-255, 2013

※15
Arduinoで構成したユビキタス環境制御システム対応ノードのパケット処理能力
黒崎 秀仁 , 安場 健一郎 , 岡安 崇史 , 星 岳彦
農業情報研究 25(1), 19-28, 2016

※16
教育用汎用基板Raspberry Piによる自律分散環境計測制御システム用オープンプラットホーム(UECS-Pi)の構築
戸板 裕康 , 小林 一晴
農業情報研究 25(1), 1-11, 2016

※17
ICT農業の環境制御システム製作 自分でできる「ハウスの見える化」
中野 明正, 安東 赫, 栗原 弘樹
誠文堂新光社,2018

※18
アルスプラウト株式会社
https://www.arsprout.co.jp/

※19
UECS対応センサユニットA型作製マニュアル
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/pamphlet/tech-pamph/135291.html